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TOP>廃線探訪>土讃線旧線 阿波川口〜小歩危ニ回目
次は先程の隧道(国政隧道)のもう一方の洞門を探すめく足をすすめた。時間がないので急ぎ足。逃した遺構もいくつかあることだろう。そして、そんなことを考えつつ国道から廃線方面に目をやるとこのような光景が目に飛び込んできた。
このコンクリートの橋脚の上にはこの線区の中では比較的大きめの橋が架けられていたのだろう。ちなみに橋を正面にもってきて右側、つまり多度津側は山・・・。もうお分かりいただいただろう。ここにはあれがあるに違いない。
雨上がり、滑りやすい急斜面を気力で登り廃線跡に目をやると、遂に国政隧道高知側洞門発見!!先程とは打って変わって"廃"な雰囲気が繰り広げられている。これは期待できそうだ。
そして、いざ、入洞 (しかし終わりは既に見えているw
入洞から一分足らず。距離にして10メートルくらい。隧道内は土砂によって人工的に閉塞していた。隧道内はかなり黒ずんでいる。汽車が頻繁に通っていた頃の名残であろう。ところで、よく考えたら反対側は綺麗に整備された設備がある。しかし、このような簡単な閉塞でよいのだろうか。おかしい。あのような厳重警備の反対側がこんな甘いものではいけないはずなのだ。そして・・・よく目を凝らすして見ると隧道天井と土砂の間に隙間が空いているではないか。これは上るしかない。
最初は何も写っていなかった写真の明度を上げコントラス下げると壁を認識することができる(それにしても何故フラッシュが焚けなかったのだろう・・・)。土砂の頂上に上るとコンクリートによって閉塞されていることが確認できた。これで満足だ。
ところどころで線路跡に上ってみるとこのように植林が行われていた。線路跡は辛うじて確認できる程度となっている。
橋の遺構かと一瞬思わせたこの橋は廃線後、線路跡に付けられた歩道用の道路だった。遊歩道かなにかに使われたのだろうか。用途は分らない。
橋に上がってみると多度津側はこんな感じ。
しかし、高知側は隧道だ!線路跡は全体的に民間に売り払われた部分が多いこの線区の廃線。隧道内も売却され、様々な用途に使用されているのだろう。ここも例外ではなく何かに使用されていたようだ。反対側から通じているのかは分らないがこちらは荒廃している。
反対側はどうかというと民家が立ち並ぶ中、違和感なく何かの小屋のごとく洞門はある。
隙間があったので少し覗かせていただいた。外観がいかに違うものであろうと、これは隧道なのだ。
ちなみにこの隧道の反対向きはこんな様子。右上が線路跡。川の高さから線路跡の高さまでの凄まじい高低差がお分かりいただけるだろう。
阿波川口〜小歩危の廃線はそろそろ終点。このような橋脚が柿間現れる単調な風景が続く。
鉄道用に頑丈に作られた盛土(コンクリート法面)の上には民家が建つ。
これが現行線との合流手前の最後の橋脚だ。カーブがあるので国道32号線を高知方面から高松方面に向かってすすむと正面になるためいやでも目に入るだろう。ご存知の方もおられるのではないだろうか。
合流してから小歩危駅までまだ距離がある。トンネルと落石防止シールドを交互にもってきて造られた線路を右に眺めながら小歩危まで至ることができる。なんとも土讃線らしい光景が広がっている。
おわり
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