最終更新 2006年9月30日 
 阿南鉄道
                                 


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阿南鉄道

 本日は久しぶりの廃線探訪の更新を。およそ4ヶ月ぶりになったりならなかったり・・・。メインコンテンツながら一体何をしていたのやら。あれっすよ、、「琴電」に逃げてたんですよ。

 紹介するのは阿南鉄道「羽ノ浦〜古庄」である。羽ノ浦と言えば徳島県の南部と北部の中間に位置する阿南市の一部であるわけだが、JR羽ノ浦駅は特急停車駅でもあり牟岐線の主要駅の一つだ。そんな羽ノ浦駅から伸びる廃線は僅か2、1kmの俗に言う盲腸線。そんな短い区間にも複雑な事情がある・・・はず。

 ってなわけで訪れたわけだが、不運なことに台風接近中とのこと。もともと勢力も弱いし四国直撃!ってわけでもないので突撃することにしたのだが・・・・・・


 "複雑な事情"について軽く説明しよう。阿南鉄道が鉄道南下計画の下目指した地は南部の最大都市、阿南。大正5年、その計画の一部として中田〜古庄が開通したのだ。古庄は那賀川の一歩手前。技術的な面も踏まえて大きな橋の手前としたのだろう。
 
 しかし、路線計画は変更された。国鉄により建設されたのは、大きく東から回るルートだったのだ。古庄から先に工事は進むことなく、国道56号線の旧道に沿うよう羽ノ浦で大きく向きを変えた羽ノ浦〜古庄は支線扱いになった。営業不振からの旅客営業休止、のちに材木の貨物輸送を開始し再開するものの結局昭和36年廃止に至った。



 牟岐線に揺られること徳島からは30分程度。阿南までは利用客も多く、徳島近郊輸送の目的をしっかり果たしている。羽ノ浦駅も例外ではなく乗降者は多かった。ここから廃線は始まる・・・

 というか雲行き怪しすぎだって・・・・。雨こそ降ってないものの風は結構強いし・・・。
 もってた袋もいつの間にか風に持っていかれてるし・・・。


 先行き不透明ながらも時間が無いので早速行動開始。う〜ん、、これは微妙・・・


 おっ、これは廃線らしい雰囲気が出てきたぞ。
 丁度写真中央右側の歩道橋の階段の下りた先が廃線跡である。この柔らかなカーブを描く分岐は鉄道らしさを醸し出す。しかも足もとに!?


 なんと橋脚が残されていたのだ。これには驚いた。比較的街中に位置するこの廃線には正直期待していなかった。線路跡は道路に切り替えられたとのことで遺構はすべて消滅したものだと思っていた。ネット上で取り上げられることがなかったのが拍車をかけていたのだ。

 これはちょっと、、予想外ってやつだ。煉瓦造りである重厚な橋脚には時代を感じされる。


 線路は那賀川に向けて、南西に進んでいたルートを南に向ける。牟岐線がどんどん遠のいていく。


 用水路を越すちょっとした橋にはなにやら怪しげなフェンスがとりつけられていた。

 みなさんの察されたとおりであろう。橋台が残存していた。これはここだけに留まらずこの先全線において見られるのだ。


 普通の道路との交差点。踏切があったであろうが、その遺構は発見できなかった。


 ここでまた橋台。


 「自転車・歩行者専用道路につき・・・(略)」 

 この看板が一体なにを語っているものは、路盤が弱いということ。大正5年に開通した橋台を利用して作られた橋には車の激しい往来には耐え切れるものじゃないだろう。僅かに許可車両の通行が許される程度だ。

 それにしても、風も強くなってくるわ、雨も降り出した。傘はとてもじゃないが開けるもんじゃない。
 そして恐ろしい出来事が・・・・


 ここにも橋台。あ、写真なかほどに写っているのはオーブ(埃)か水滴ですよ?


 さーてここにも橋台があるな〜と思いつつ一通り写真には収めていたので慣れた足取りで撮影に向かう。あぜ道へのほんの僅かの下り坂。薄っすら苔が生えていたコンクリートの上で・・・・

 転んじまった;;; 

 これには「用水路で流されて・・・行方不明!?」なんてことがホントに起こり得るんだと、そういうことを強く思い知らされた。結論から言うと、台風のときに用水路に近づいてはいけない。特に日中常に陰になるコンクリートの緩斜面。危険大。
 話を戻すが期待していたものはあった。橋台なんてものに留まらず、なんとガーター橋まで残存していた。そんな橋のうえにででんとコンクリートの道路橋がそのまま置かれているのだ。


 時間がないわ危ないわで急ぎ足で参ってきた阿南鉄道もここにて終了。古庄駅の到着だ。古庄駅の構内であるとは思うのですが断言はできない;;


 ・・・。旧古庄駅前の名残である大通りが現役なのだが発見できずじまいだった・・・。 

 



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