最終更新 2006年6月23日 
 佐々連新鉱山一回目
                                 


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佐々連新鉱山一回目



 佐々連鉱山とは金・銀・銅など多種の鉱物が採鉱されていたようだ。一概に佐々連鉱山といってもいくつもの鉱脈がありいずれも規模は大きい。そんな佐々連鉱山では鉱山鉄道が採掘物運搬に使用されていたらしい。そして今でも多くの遺構が残っているのだ。今回も例に漏れずマフラー巻き氏と同行〜

@地点
 まず最初の地形図に描かれている佐々連隧道を目指した。しかし、そこへ続く道はなんと立入禁止の看板が立てられていた。つい最近まで解放されていたので、真新しい柵である。惜しい。この佐々連隧道は道路用隧道であり、その隧道に至るまでに鉱山事務所などの様々な施設が残されているようなのでなお悔しい。

A地点
 仕方がないので佐々連隧道はおていおき次を目指した。写真の石碑があるのは地形図中A地点。このあたりは観光用として解放されている。この石碑以外に観光客向けになにがあるわけではないが、とりあえずその鉱山の雰囲気が少しは感じられるようになっている。

B地点
 広々とした何かの施設跡の広場にぽつんとある石碑の後ろ側には銅板に掘られた説明書きがあった。(読んでみたい方、おられましたら掲示板までご一報下さい。拡大写真、ご用意します)

B地点
 さきほどの石碑がある広場の隅っこには小さな小屋があり、その横にはなんと線路が!!これが噂の鉱山鉄道である。廃線だ。線路が残された廃線なんて四国ではほんの僅かであろう。坑道に続いている・・・。それにしても坑道の入口は立派。なぜここまで関係者にしか目にされない坑道にこのような立派な坑口を造ったのだろうか。肩額には「佐々連隧道」とそのまま単体で佐々連の名が冠されている。この坑道はかつての佐々連鉱山の核として扱われていたのだろうか。

B地点
 住友の広告幕が邪魔して中の様子がいまひとつわからない。とりあえず上部にカメラをつっこんで撮ってみると何やら工事をしているようだ。鉱毒などへの対策であろうか。ちなみにこの坑道内には鉱山稼動時に使われていた貨車等が眠っていたそうだが、撤去されたらしい。

B地点
 振り返ると線路は二本。坑道出口手前で隧道内分岐していて、片一方の線路が小屋の中に引き込まれているのだ。この小屋も少し前までは開いていたらしいが、今では鍵がかかっている。

B地点
 こちらも下部からカメラを突っ込んで撮影してみると貨車のような車体の小型の車輪が写り込んだ。こちらの小屋は車庫として使われていたようだ。

B地点
 残念だがここでの探索はこれ以上は無理。しかし、この線路はなんとどこかに通じていた・・・


 第二回に続く



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