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塩江温泉鉄道 第一回

昭和4年11月12日に仏生山から塩江までに至る16,5キロが営業開始した。この路線を塩江温泉鉄道という。塩江温泉鉄道は単線非電化軌道で小型の車両にガソリンエンジンを載せたガソリンカーを運転していた。この車両は40人も乗れば満員だったという。ダイヤの面では、不定期列車が半数を占めるとはいえ25分に一本運行され、路線人口に見合わないダイヤであった。開通当時は通学や観光手段などが向上したことで喜ばれたそうだ。戦争が始まると塩江温泉鉄道は不急不足路線に指定され、鉄の供給のため廃止された。このとき車両は海外に移動されたとか。その後、運行再開はなかった。
今回はこの塩江温泉鉄道を自転車で訪問した。




仏生山工場横の留置線が塩江温泉鉄道に繋がっていた線だ。いつもはここにも車両が留置されている。正面の道が廃線跡だ。




この道のところどころには廃線跡であることを示す看板が設置されている。「ガソリン道」と書かれ、前述したとおり燃料にガソリンを使用いていたことからだろう。




しばらくは直線が続き、途中に何度か勾配がある。




カーブが続くとともに高度も少しずつ増してくる。




廃線好きが見たらいかにもありそうな雰囲気。森林が囲む掘割が少し続くと・・・




ん?




キタ━━(゚∀゚)━( ゚∀)━(  ゚)━(  )━(  )━(゚  )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━!!!!!。廃線探訪記で遺構の発見時の感情表現としてベタな表現はこれだ。というか、何か普通の言葉では表せない何かが感じられるのだ。上の方が斜面が綺麗に修復されているがこれは隧道手前までが町道として整備されていることから。洞口には右折の標識が取り付けられていた。




洞内への進入を妨げるのは写真に見える赤コーンを使った簡単なバリケード。もはやバリケードともいえないもである。




中は煉瓦を使用したもの。私の家の近くにこんなに素晴らしい隧道が存在することに驚くばかり。




隧道は少し左にカーブいている。丁度真ん中で水没していて、私はそこで折り返した。




途中に一つ退避請坑が設置されていた。




隧道中央がコンクリート巻きになるが、のちに煉瓦に戻る。




電線や電話線などが付けられていたのか・・・




反対側の様子。こちらも斜面が整備されている。これは隧道上を走る道路のためである。

多くが道路となり線形を残すに留まっているが、一部には強く当時の趣を残す遺構もあるのがこの塩江温泉鉄道。私のような廃線初心者でもサイクリングがてら気軽に訪れることが出来るのだ。


第2回に続く


最終更新日2005/12/3 訪問日2005/12/3



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